日本の歴史の中で数多くの戦争や紛争が繰り広げられたが、その中でも特に記憶に新しいのがモンゴル帝国との対立である元寇です。
モンゴル帝国の強大な力が、日本の「神の国」という自己認識や独自の戦術と交錯したこの時期、日本は外の強敵との関係をどのように築いてきたのか、そして自然がどのような役割を果たしてきたのでしょうか?
今回のクイズ問題では、クビライ・ハーンと日本との間の外交的なやりとりから、神風がもたらした驚きの展開まで、元寇の舞台裏を紐解いてみましょう!
※こちらのクイズ問題を解く前に、まずは、「神国日本とモンゴル帝国!元寇と外交の狭間での対話と誤解とは?」の記事をしっかり読んでから、問題を解くようにしてくださいね。
【元寇クイズ問題①】日本とモンゴル帝国の交渉と戦争
元寇は、日本が蒙古帝国から2回攻撃を受けた事件として知られています。これは、(①)の役と(②)の役として広く知られており、特に(③)の力によって日本はこれらの襲撃を回避しました。一方で、モンゴル帝国の第5代皇帝、クビライが日本に送った(④)は、外交的なやりとりのきっかけとなりました。
( )のことばを答えてみよう!
- 蒙古帝国の初めての襲撃は何の役として知られていますか?
- 2回目の襲撃は?
- 日本が襲撃を回避するのを助けた自然の現象は?
- クビライが日本に送った公式の書簡を何と言いますか?
❶ 文永
元寇の初めての襲撃は、文永の役として知られています。この時、日本は多くの脅威にさらされましたが、幾つかの要因によって攻撃を回避することができました。
❷ 弘安
弘安の役は、元寇の2回目の襲撃として知られています。この時も日本は襲撃を回避することができました。
❸ 台風
元寇の際、日本が襲撃を回避するのを助けたのは台風でした。この台風は「神風」とも称され、日本を守ったとされています。
❹ 国書
クビライが日本に送った国書は、モンゴル帝国と日本との外交的な関係のきっかけとなりました。この国書の中では、モンゴル帝国の権威と日本との友好関係の築き方についての内容が述べられています。
[voice icon=”https://otokai.net/wp-content/uploads/2023/10/スクリーンショット-2023-10-13-17.40.57.png” name=”メガネ先生” type=”r big fuku”]元寇は、単に軍事的な出来事としてだけでなく、外交的な背景や日本の内政の動き、そして自然の影響など、多くの要因が複雑に絡み合った歴史的な事件であることを理解することが重要だね。[/voice]
【元寇クイズ問題②】モンゴル帝国と「神の国」日本の対立
( )のことばを答えてみよう!
- クビライが日本に要求したもの
- 応答しないこと
- 日本が他の国と異なると考える背景
- モンゴル軍が日本に襲来した事件
- モンゴル軍の特徴的な戦法
❶ 服属
クビライ・ハーンは日本に服属を求めて、複数回国書を送りました。服属とは、他国の主権を認め、その指導や命令に従うことを意味します。
❷ 無視
日本はクビライの求める服属に対して事実上の無視の態度をとりました。これは、日本の独自の背景や考え方、特に神国という自己認識から来ているものでした。
❸ 神の国
日本は、自らを神の国とみなし、他の国々と同じように力で争う存在ではないという考えを持っていました。この考えが日本のモンゴル帝国に対する対応に影響を与えました。
❹ 蒙古襲来
日本の一貫した無視の態度がモンゴル帝国を刺激し、モンゴル帝国が日本に襲来することとなったのが、蒙古襲来である。この事件は、日本とモンゴル帝国との間の対立が頂点に達したものでした。
❺ 集団戦法
モンゴル軍は集団戦法を得意としていたのに対し、日本の武士たちは一騎討ちの戦術を重視していた。このため、初戦ではモンゴル軍の集団戦法に日本の武士たちは苦しむこととなった。
今回のクイズまとめ
元寇は、日本とモンゴル帝国との間の軍事的、外交的な対立の象徴となりました。
クビライ・ハーンからの服属を求める国書が複数回送られましたが、日本は「神の国」という自己認識から、これを事実上無視する選択をしました。
この態度が原因で蒙古襲来が起こりましたが、日本の武士たちの奮戦と、そして何よりも台風という自然現象により、日本はこれを乗り越えました。
この事件は、外交のやり取りや軍事戦術だけでなく、文化や自然といった多角的な要素が関わる歴史の一ページとして、私たちに考えるべき点や教訓を提供してくれます。
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